ロシアが戦争を起こした本当の経緯 ※どんな理由があろうと戦争は絶対だめ→子供でも分かるでしょ

 

 

2022年2月末、ロシアはウクライナに侵攻しました。この戦争の背景を理解するために、2004年のオレンジ革命から話を始める必要があります。ウクライナはロシアに近い国であり、親ロシア派のヤヌコーヴィチ氏と親EU派のユシチェンコ氏の間で大統領選挙が行われました。ヤヌコーヴィチ氏が勝利したとされましたが、再投票が行われ、ユシチェンコ氏が大統領になりました。

この再投票に対し、ロシアのプーチン大統領アメリカが干渉したと主張しています。彼は、アメリカが選挙結果を覆すことを支持し、再投票の勝者が大統領になったと非難しました。彼はウクライナが西側にひいきにされ、親EUユシチェンコ氏が大統領になった後も、ロシアは彼との関係を築こうとしたと述べています。

しかし、ウクライナの政治は安定せず、ヤヌコーヴィチ氏が再び大統領に選出されました。親EU派のユシチェンコ政権は支持を失い、ヤヌコーヴィチ氏が2010年に大統領に就任しました。

 

マイダン革命は、2014年に起きたウクライナの政治的転換を象徴する出来事です。親EU派の反政府武装グループが議会を包囲し、ヤヌコーヴィチ大統領がクーデターによって追放されました。この時、アメリカとロシアの間でやり取りがありました。

プーチン大統領によると、アメリカはロシアに対し、ヤヌコーヴィチ氏を抑えるよう圧力をかけ、対立派閥を抑えると約束したそうです。しかし、ヤヌコーヴィチ氏が軍や警察を動かさないようアメリカが要求したにも関わらず、対立派閥はキエフでクーデターを行いました。

プーチン氏は、ヤヌコーヴィチ氏が違法に追放され、アメリカとEUがこの違法なクーデターを支持したと主張しています。実際、2015年にはオバマ大統領がアメリカのウクライナ政策に関与したことを認めています。

さらに、アメリカの外交官であるヴィクトリア・ヌーランド氏の通話音声がリークされ、彼女がウクライナの政権について議論し、EUに対して厳しい言葉を発していたことが明らかになりました。

このように、2014年のクーデターによってウクライナの政権はアメリカの意向で置き換えられたとプーチン大統領は主張しています。その後、ウクライナ政府はアメリカの影響下に置かれ、アメリカの政治家によって操作されていたとされています。

 

プーチン大統領の見解によれば、ロシアはクリミアをウクライナ政府の支配下に置かれた状態に容認できず、クリミアの半数以上を占めるロシア人を守るために軍事介入し、クリミアをロシアに編入したとされています。

プーチン氏は、マイダン革命やその後のウクライナ政治の流れに対して、アメリカと西側諸国の振る舞いに強い批判をしています。彼は、ウクライナNATOに加盟し、西側の影響下に置かれることを阻止しようとした経緯を述べています。

特に、NATOが東側に拡大することを止めるために何十年も訴えてきたにも関わらず、西側諸国がその約束を破り、NATOの勢力がロシアの国境にまで迫ってきたことに対して、プーチン氏は強い懸念を表明しています。

また、ウクライナが放棄した核兵器に関するブダペスト覚書に触れ、アメリカがその覚書の内容を守らなかったことを批判しています。そして、ウクライナ核兵器を持っていたならば、ロシアによるウクライナへの侵攻を阻止できたと主張しています。

プーチン氏の見解によれば、ウクライナがロシアに侵攻されているのは、アメリカなど西側諸国の約束が実質的に法的拘束力を持っていなかったためだとしています。

 

 

カールソン氏の言葉は、視聴者に対して自ら情報を収集し、自らの頭で考えることの重要性を強調しています。彼は、ウクライナ情勢や他の国際情勢について意見を持つ前に、過去の出来事や背景を理解する必要性を訴えています。

特に、ウクライナ情勢においては、オレンジ革命やマイダン革命、そしてブダペスト覚書などの歴史的な出来事を知ることが重要であると述べています。彼は、メディアによって流される情報を鵜呑みにせず、自らの情報収集と分析を行うことが重要であると訴えています。

また、アメリカでは共和党支持者の間でもウクライナへの支援に対する見解が変化しており、国内外の情勢に対する見方が変わりつつあることを指摘しています。

さらに、パレスチナ情勢に関しては、西側の政治家がイスラエルを良く見せようとする試みが無理であることを指摘し、世界のメディア戦略に対する批判的な姿勢を示しています。

最終的に、カールソン氏は日本の国民に対し、世界の情勢について目を開くよう促しています。彼は、日本人が世界の出来事に対して鈍感であってはならず、自らの意見形成に積極的に関与することの重要性を訴えています。